2008年12月31日水曜日

2009 丑 「牛」賀状





丑年を迎えました。
あけましておめでとうございます。

牛を篆書というよりは、金文的に書いてみました。
やはり干支を書くことになりますが、丑より牛ですね?
何となく?
古代において牛はやはり角が印象的なのでしょう。
牛は角、馬はたてがみ。
漢字は絵文字ですから、初めは写実的な写しからなのでしょうか?
写実的特徴を失わない程度の省略が行われ、
記号として簡略化されていったのでしょう。
頭では角とか言いながら、
方向や勢いなどぐちゃぐちゃ考えているような、いないような?
考えてから書くより
書いたものの辻褄があっているか?のほうが気になっているようです。
今の気分は、こんな所のようです。
世の中がこんな状態だと、
気持ちを盛り上げたいという衝動が薄れてきて、
も~~~~!っと唸ってみたい感じがします。

2008年12月26日金曜日

年末に

今年も残すところ、わずかとなり、何かとあわただしい日々を送られているだろうと思います。

会員の皆さんの日頃の練習風景や添削を毎週のようにアップするようになり、大変ではありますが、前回の指摘した点などを私自身も振り返ることが出来。大変役立っています。

最近では積極的に皆さんの姿を写した写真なども作品と一緒に撮っていますが、お子さんなどは大変かわいらしく、ずっと時間がたってからでも、残っているアルバムとしても役立つだろうと思っています。

来年は皆さんの作品や拙作などもどんどんアップしていけたらと思っています。

世の中は大変な混乱を迎えていますが、変わり目(CHANGE)とチャンス(CHANCE)はGとCの一字違い、自分の足下を固め、常に先を見据えて日々の精進を続けたいと思います。

2008年12月23日火曜日

苔のむすまで

[saika7.JPG]

「苔のむすまで」を考えてみましょう。
先ずは、どのように印象付けたいのか?が、大事です。

ガラスが綺麗に磨かれて、曇り一つ無く、透き通っているとしましょう。
ガラスの向こうにある景色は、ゆがみ一つ無く私の目に飛び込んできます。
私はガラスがあることを、認識できていません。走り出して、ガラスに激突してしまうかもしれません。

「差」ということは、とても大切なことです。
差が有ると読みにくくなります。
活字のように同じような大きさで、無機質に書かれてある方が読みやすいはずです。
我々は文を作る人では無いので文意もあまり拘泥しません。
私は文の印象を形として繋ぎ止めようとします。
自然に、その並びの自然な変化を、ちょっとだけ、誇張します。

「苔の无須万天」
苔 風になびく、薄い紙のようなふわふわした「の」を、
飛ばないように押さえている文鎮代わりの石ころのような「苔」を書きたいと思いました。
「苔」の密度の反対のような「の」。
その二字の際だった対比を大輪の花と見れば、
「无須万天」はしっかりと伸びて支える茎の様でもあり、根のようでもある。

きっちりとしぼって・開いて・伸びて・左から右に支えて・左に力を逃がして・うずくまりつぶれる。
字を書くのではなく、なっていきたい形を描いてみたいのです。




2008年12月20日土曜日

狙いを鮮明に

添削をするときに、皆さんに先ずお聞きすることは、どうしたかったの?
と、いうことです。
この、どうしたい、ということが無いと添削が進みません。
課題を創作するに当たって、何を第一に書きたかったかということは、最も重要なことです。

想いがあって、それを成就するための技術です。
祈りだけでは、それは成りません。

書は変化と統一とよく言われますが、変化のための変化を求めてしまうことがあります。
自分の目線を定めて、よりよい表現へと工夫を重ね、想いを昇華させていくことが、肝要です。

文を鑑賞し、声に出してみましょう。
書は音を発しませんが、大きな音やかすかな音、やさしい旋律や小気味のいいテンポ、等々。
さまざまな音や旋律が聞こえてくるはずです。

創作に当たっては、最初から手本を与えるということはありません。
先ず書いてみる。
そこで、くすぶっている想いに目を向け、対話の中から、狙いを鮮明にしていきます。
それぞれ、何を表現するために、どんな工夫を重ね、互いの効果を高めあっていけるのかを、添削を通して具現化していきます。

手本を真似するのではなく、手本の狙いを自分のものにすることで、自分自身の書と成っていきます。
上手いほうが良いとは思いますが、必ずしも上手い必要なぞ、これっぽっちもありません。
声が姿が語り口が、あなたであるように、書も自ずから備わっています。
持っているものを活かし、上手にプロデュースすることで、より洗練されていく。
あらゆる修練と共通することです。

上達の秘訣は、好きになって書きたくなる自分になることです。
書くべきことと、そうする理由が解れば、自ずと手は動き、目指すところが解ってきます。


2008年12月9日火曜日

ネットで展覧会?

若い頃、家で少しの間面倒を見ていた後輩の龍君から電話があった。
友人が赤羽雲庭旧蔵の田黄をもって鑑定団出でるから見て欲しいとのことであった。
福島は田舎なので、12chは映らないし、たしか日曜の昼頃やっていたような気はするが、最近とんとTVを見ないこともあり。ネットで探してみようということにした。

山田正平の刻とのことであったが、直接見せてもらったのかと尋ねると、見ていないとのことで、要領を得ない。まぁ、田黄がほんとうなら、山田正平くらいでないと彫らないかもしれないだろうと思う。
印材は多少は持ってはいるが、なにせ高価な物で、僕の持っている鶏血なんぞは、とても、鶏血とはいえない貧血くらいのもので、お恥ずかしい限りだ。

中国では、鶏血は人造のものが造られており、素人はすっかりだまされる。
むかし、香港で買ってきたという、端渓には硯の磨り面の真ん中に眼があり、驚かされた。眼を何かに見立てて景色にはするものの、硯面に有るのを見たのははじめてだった。わざわざ入れたのか?本物を知らずに入れたのかは、定かでない。
書画骨董の類の偽物はこの世に数知れず、贋作の技も巧妙を極める。本物の陰影を凸版で再現されたら。素人なぞはひとたまりもない。

などと、他愛もない話をしていると。今度の芸術院会員推挙で自分の先生が入れなかったとの、わだいとなって、お金がかかりますよね~~~との話。
読売あたりで、手本25000円入選謝礼30000円出品表具で30000円じゃ、誰もやりたがらんですわ。

ごもっとも。

いつから、こんなにお金がかかるようになったのでしょうかね~~~。
実は自分もお金のかかりすぎで、展覧会はご遠慮させていただいてます。
彼の話では、日展平入選100万、特選ともなれば1000万とか。
劉・・さんは会員賞とってこれからって時に死んじゃったから、借金しか残らなかったとか?
いつまでも、そんな時代じゃないって?
やり続けないと、しぼんでいっちゃうのかもしれないけど。

なんか、おかしいよね?

神技堂さんもいってたけど、きれいに審査していたんじゃ、展覧会自体が成り立たないんですと。
出品数と入賞数はきれいに分け与えないと、作品なんぞあつまらん。これが、実際ですと、おっしゃってました。

実際、本当に上手い人は、どれくらいいるものかしら?
昭和の巨匠といわれた人たちは、本当に、それぞれ素晴らしい仕事をなさっていらっしゃったけど。
最近では、新しい問題を作れた人は、とんと見かけないようにおもえます。
書家は生きている内、とか陰口をたたかれるけど、この現状を見ると。その通りだと思う。
100年どころか50年残れないだろうな?

どこかで新しいことをやってる人もいるのだろうけど、展覧会なんかじゃなくて、ネット上にもっと書作品があがってくるといいな~~~。と思う今日この頃です。

2008年12月2日火曜日

創作課題を考える

競書課題には手本のある課題と手本のない課題があります。
段級が進むに随って、臨書しなさいから参考にして書きなさい、そして創作しなさいと移ってきます。

似せるから操作する、そして創作と考え方も進化していきます。
古典なり手本という物は、考えて作り上げられた物です。
ただただ似せているだけではその良さも理解できません。
また、世の中にそれほど名品ばかりが転がっているなんぞということは無いのです。
神経をすり減らしそっくりに再現してやろうなどというお相手には、滅多なことで出会える物でもありません。
かといって古典のように何千年もの間尊重されてきたものが相手の場合、その良さを見抜けない自分の目の方が間抜けだともいえます。
玉石混淆の中で、課題という問題に出会いその答えを導き出す作業をしましょうということです。

臨書の場合、臨書とは形を似せることだという定義に立てば、細部に至るまで似せていき、遅速緩急大小伸縮と筆致を自家薬籠中にすることも良いでしょうが、どのような表現がなされ、どのような工夫がどんな効果を上げているのかを考え、再構築していくと考えると、後々の創作に役立っていいます。

書を楽しむ方法は千差万別十人十色です。
墨を磨るだけで満足する方もいれば、一日中写経に浸りきる方もいます。
近頃、私は、問題を自分で創り、新しい回答を創り出していくことだと考えるようになりました。
素材を観察し、アイデアが自然に溢れてくるような切り口を探し、一幅にまとめる。無理のない考え方を習得することで、ごく自然に素材がなりたがっている形になっていくように思えます。
料理する際に、調理の技術だけでも料理は出来るでしょうが、誰と?どんな雰囲気で?そんなシチュエーションの時?などと想いが広がれば、創られる料理も自ずと姿を変えてくると思います。先ず何を伝えたいのかから始めてみませんか?

2008年11月30日日曜日

書の技術とは?

それぞれの人には生きてきた中で培ってきた嗜好というものがあります。
甘い物が好き、辛い物が好きといった個人差です。それぞれ、どちらが良いといったたぐいのものではなく、上下の別もありません。
好みには、風土色とでもいうべきものが存在します。中国の南船北馬、北峻南媚などと比較対照され、対語的に用いられています。
気候風土に強く影響されたもので、環境が厳しければ強い刺激を好み、環境が穏やかになれば柔らかい刺激に好感を抱くようになるようです。
日本の書にもこの影響は強く表れています。
おおきくは、中国の一筆一画ゆるがせにしない構造的な書に対し、日本の書は瞬間的に感覚を繋ぎ止めるような情的なものに流れやすいようです。
現代の書を見ても、北は峻険で重厚な書が好まれ西は優美なものが好まれているようです。

このように好みというものは致し方がありません。自己の表現に書というものを選択したのであれば、その技術の習得に精を出すのはごく自然なことです。
この表現の核となるのは、自己そのものであり想いです。
その想いを具現化する手だてが技術ということです。

いうまでもなく書は視覚芸術ですから、技術によって想いを表現しなければなりません。
限られた空間、たとえば半紙がよいでしょう。ここに一つの丸を書くとします。
この丸は丸であれば良いのです。四角であってはいけません。かといって、正円でなくても良いのです。要するに角がなければ丸という範疇に入ります。

では、大きな丸を書きたいと思ったとしましょう。さて、どのくらいの大きな丸が書けたでしょうか?
先ほど楕円のようなものでも丸は丸といいましたが、第1の技術はここにあります。
たとえばより正円に近い丸が書けるかどうかです。

イメージした形を思い通りに書ける力が、一つめの技術です。
しかし、この技術は単に筆遣いが上手いということに過ぎません。
では、本当の技術といえるのは、どのようなことを指すのでしょうか?

一例を挙げてみましょう。
あなたが書いた丸を更に大きく見せるには、その隣により小さな丸を書き添えてみてください。
あなたが書いた丸は先ほどより大きく見えるはずです。確かな証人がその丸のそばに書き添えられたからです。
他に方法はないでしょうか?
丸の中の面積と半紙の面積から丸を引いた面積、つまり、余白とを比べてみてください。
もし、あなたの書いた丸の面積が余白より小さいとしたならば、その丸は大きいとは認められません。
正方形の対角を斜線で結び、それぞれの面積を比べます。すると直線の場合等分され、その差は生じませんが、多少湾曲させるとどちらかが広くなります。その広くなった方が内側と見るならば大きくなり、外側(余白)が広くなれば小さくなります。

このような分割方法を身につけることで、書的な思考が可能となります。
さて、もう一つ例を挙げるならば、更に大きく丸を書いて半紙からはみ出させてみましょう。溢れるほどの大きさが書けたことでしょう。
この例に見るように、書というものには思考の技術というものが欠かせません。
あらゆる表現に作者の視点といったものが要求される、非常に神経を使う物なのです。その作者の視点や神経を共有することが書を鑑賞することということに他なりません。

2008年11月29日土曜日

籠字とり

上手い人は、筆を持ち気持ちに任せさらさらと書いているように見えます。当に筆で書くと言うことの醍醐味もそこにあるといって過言ではありません。
しかし、このさらさらということが、そう容易には行かないものです。心にわだかまり無く筆を運ぶには、既に書こうとするイメージが具体的に頭の中に描けていないと出来ないものです。
たった一本の線にしても、引くだけは引けるでしょうが、それだけです。何の意味もありません。一本の線にも打ち込みがあり太さふくらみ遅速緩急勢い等々、複雑な要素があります。
先人の書を臨書して思うことは、没入したいと言うことです。対象に浸りきり、まるでその書者になったかのように書けたらどんないいかと常々思います。何を考えどう書こうとしたのか、役者になったかのように振る舞います。
そこに至るには、詳細に観察を続けなければなりませんが、私は若い頃よく、籠字というものを取っていました。トレーシングペーパーなどで詳細に、石のかけ一つ見逃さずに形を追っていったものです。
すると、眼の印象とは違った一面も現れ、はっとさせられることもしばしばでした。御物でもある王羲之の乱帖などは、双鉤塡墨という手法で作られた、真を乱すほど精巧に模写された神品といえるものです。この双鉤という手法が平たく言えば籠字です。
高校の授業で学生にこの籠字を取らせている時、ある生徒が、石がかけたところと残っている線の区別がつくようになったと言ってきたときにはびっくりしました。
見ると確かに解って籠字を取っているのでした。筆順や方向を無視して書かれているものとは全く異なり、まさに私の教えたかったことを生徒自らが実践し獲得し得たと喜んだものです。
臨書で言えば、見えているようにしか書けないし、また、書かれているようにしか見えていないと言うことです。
眼を鍛え、手を鍛え、心を鍛え、想いを紡いで自在に表現する。そんな世界にともに遊べたらどんなにか幸せだろうと思う日々です。

見・観・察

書を志して書美の探求を始めるには、先人の書を渉猟するところから始めるのが常です。見て書いて見て書いてを果てしなく繰り返すことで、見ることの意味がだんだんに解かり始めてきます。

学生時代からそれを繰り返してきた結果、それなりに上手くなり、それなりに解ったような気にもなっていましたが、心のどこかに何も解っていない自分がいることも自覚していました。
それなりに工夫もし、知識も仕入れ、それなりの作品も書けているつもりでした。しかし、絶対の自信というものはありませんでした。

先輩に篆刻の上手な人がいて、作品もそれなりに上手だなと思っていました。
その先輩が印の仕上げに印刀で印面を叩いていたときに、何で叩くの?と問いかけたら、その先輩は古色をつけるんだと答えました。感覚ではわかる気がしましたが、これは偽物だと、心の中で思ったものでした。
気分なのです。何となくそうしているという風にしか、私の心には届きませんでした。

これでいいのか?これでいいのか?という自問の中、疑問を抱き続ける日々が続きます。そんな中で、青山杉雨先生の著作の冒頭に、詩は志也。という一文に出会いました。
青山先生は、その古出の文を詳しく説明していました。詩書畫一致は東洋の理想であり、書もまた志を表すものだ。志とは表現である。といった要旨だったと記憶しています。
上手く書いたり、こねくったりすることは技術には違いないが、その根本にある自分というものは薄いような気がし、もどかしく思っていた自分にとっては、重要な指針となる一文でした。
更に模索を続けてはいましたが、自信がもてません。そんなとき関正人先生との出会いがありました。
福島で開催された先生の講習会に出席した折り、先生から作品を送ってくるようにとの、信じられないお誘いがあったのです。今思えば、篆刻とも言えないような作品でしたが、先生は懇切丁寧に通信で指導してくださり、作品を持って上京してきなさいとのお誘いがありました。
当時県立須賀川高校で教鞭を執っていた自分は喜び勇んで上京し教えを受けました。印は良くできて当たり前、押印と側鑑は田舎にいては解らんと、高田馬場のお稽古場に招き入れていただき、終日ご指導を受けたものです。
書を志して10年間技術を追求し疑問を懐に牛歩の歩みを続けていた自分にとって、生涯忘れ得ぬ一日を得ることになりました。先生は呉倉石の印を示されルーペで印面を観察するように言われ、惜しげもなく貴重な蔵印を眼前に示されました。次に3寸角の拙作をばれんを用いて眼前にて押印してくだされ、乾くまでと、外に飲食を共にと仰っていただきました。
酒食を傾ける間に、様々なお話をいただきましたが、漢の時代の古銅印の一つである軍司馬印を示され、軍の右側の縦画が曲がっていることを、"須釜さん、これはね、やっているんだよ"と仰られたのでした。
この言葉に打ち震え、私にとって生涯忘れ得ぬ言葉となりました。それまでの疑問、謎、もやもや、それらのものが胡散霧消、かき消えていくような、当に旱天に慈雨と呼ぶにふさわしい金言となったのです。
それは私が長い時間をかけて暖めてきた疑問があって、初めて私にだけ解る感覚だったのだと思います。この一時を境に単に筆使いの上手い人から自分で考え創作する道への歩みを始めることが出来、今日に至っています。

人はぼ~っと眺めて、眼を止めて見て、興味を持って観察し、分析し、何故と考え洞察する。人の意識レベルで見るという行為も変化していくと言うことを伝えたくて、見・観・察と言っていりますが、これは正見ということで、先生は私に正格の道を指し示されたのです。
正見・正格そして自我、更には素養と深遠な書の世界を垣間見させていただいた一時でした。先生は常に自分が考えていないことを指摘するものです。自分も先生の前に出ると恥ずかしくて居たたまれない気持ちにもなります。しかし、先生は私の前で、先生の目指す世界を指し示してくれているのです。私は何年も何十年かかっても、解るまで考え続けて行くのだと思います。

”まいった”

素養ということが出てきましたが、正直これには参りました。それは今の時点では目指す話ではなく、備わっているものということだからです。否、それまでに備えたもの、身についていると言うことだから一朝一夕に、はいこれですとは言えるものではありません。全人的な知識・教養・感覚・理念の積み重ねが人を造り、よって来たるところの作品と呼べるものへとなっていくのだと、今は理解しています。