2008年11月30日日曜日

書の技術とは?

それぞれの人には生きてきた中で培ってきた嗜好というものがあります。
甘い物が好き、辛い物が好きといった個人差です。それぞれ、どちらが良いといったたぐいのものではなく、上下の別もありません。
好みには、風土色とでもいうべきものが存在します。中国の南船北馬、北峻南媚などと比較対照され、対語的に用いられています。
気候風土に強く影響されたもので、環境が厳しければ強い刺激を好み、環境が穏やかになれば柔らかい刺激に好感を抱くようになるようです。
日本の書にもこの影響は強く表れています。
おおきくは、中国の一筆一画ゆるがせにしない構造的な書に対し、日本の書は瞬間的に感覚を繋ぎ止めるような情的なものに流れやすいようです。
現代の書を見ても、北は峻険で重厚な書が好まれ西は優美なものが好まれているようです。

このように好みというものは致し方がありません。自己の表現に書というものを選択したのであれば、その技術の習得に精を出すのはごく自然なことです。
この表現の核となるのは、自己そのものであり想いです。
その想いを具現化する手だてが技術ということです。

いうまでもなく書は視覚芸術ですから、技術によって想いを表現しなければなりません。
限られた空間、たとえば半紙がよいでしょう。ここに一つの丸を書くとします。
この丸は丸であれば良いのです。四角であってはいけません。かといって、正円でなくても良いのです。要するに角がなければ丸という範疇に入ります。

では、大きな丸を書きたいと思ったとしましょう。さて、どのくらいの大きな丸が書けたでしょうか?
先ほど楕円のようなものでも丸は丸といいましたが、第1の技術はここにあります。
たとえばより正円に近い丸が書けるかどうかです。

イメージした形を思い通りに書ける力が、一つめの技術です。
しかし、この技術は単に筆遣いが上手いということに過ぎません。
では、本当の技術といえるのは、どのようなことを指すのでしょうか?

一例を挙げてみましょう。
あなたが書いた丸を更に大きく見せるには、その隣により小さな丸を書き添えてみてください。
あなたが書いた丸は先ほどより大きく見えるはずです。確かな証人がその丸のそばに書き添えられたからです。
他に方法はないでしょうか?
丸の中の面積と半紙の面積から丸を引いた面積、つまり、余白とを比べてみてください。
もし、あなたの書いた丸の面積が余白より小さいとしたならば、その丸は大きいとは認められません。
正方形の対角を斜線で結び、それぞれの面積を比べます。すると直線の場合等分され、その差は生じませんが、多少湾曲させるとどちらかが広くなります。その広くなった方が内側と見るならば大きくなり、外側(余白)が広くなれば小さくなります。

このような分割方法を身につけることで、書的な思考が可能となります。
さて、もう一つ例を挙げるならば、更に大きく丸を書いて半紙からはみ出させてみましょう。溢れるほどの大きさが書けたことでしょう。
この例に見るように、書というものには思考の技術というものが欠かせません。
あらゆる表現に作者の視点といったものが要求される、非常に神経を使う物なのです。その作者の視点や神経を共有することが書を鑑賞することということに他なりません。

2008年11月29日土曜日

籠字とり

上手い人は、筆を持ち気持ちに任せさらさらと書いているように見えます。当に筆で書くと言うことの醍醐味もそこにあるといって過言ではありません。
しかし、このさらさらということが、そう容易には行かないものです。心にわだかまり無く筆を運ぶには、既に書こうとするイメージが具体的に頭の中に描けていないと出来ないものです。
たった一本の線にしても、引くだけは引けるでしょうが、それだけです。何の意味もありません。一本の線にも打ち込みがあり太さふくらみ遅速緩急勢い等々、複雑な要素があります。
先人の書を臨書して思うことは、没入したいと言うことです。対象に浸りきり、まるでその書者になったかのように書けたらどんないいかと常々思います。何を考えどう書こうとしたのか、役者になったかのように振る舞います。
そこに至るには、詳細に観察を続けなければなりませんが、私は若い頃よく、籠字というものを取っていました。トレーシングペーパーなどで詳細に、石のかけ一つ見逃さずに形を追っていったものです。
すると、眼の印象とは違った一面も現れ、はっとさせられることもしばしばでした。御物でもある王羲之の乱帖などは、双鉤塡墨という手法で作られた、真を乱すほど精巧に模写された神品といえるものです。この双鉤という手法が平たく言えば籠字です。
高校の授業で学生にこの籠字を取らせている時、ある生徒が、石がかけたところと残っている線の区別がつくようになったと言ってきたときにはびっくりしました。
見ると確かに解って籠字を取っているのでした。筆順や方向を無視して書かれているものとは全く異なり、まさに私の教えたかったことを生徒自らが実践し獲得し得たと喜んだものです。
臨書で言えば、見えているようにしか書けないし、また、書かれているようにしか見えていないと言うことです。
眼を鍛え、手を鍛え、心を鍛え、想いを紡いで自在に表現する。そんな世界にともに遊べたらどんなにか幸せだろうと思う日々です。

見・観・察

書を志して書美の探求を始めるには、先人の書を渉猟するところから始めるのが常です。見て書いて見て書いてを果てしなく繰り返すことで、見ることの意味がだんだんに解かり始めてきます。

学生時代からそれを繰り返してきた結果、それなりに上手くなり、それなりに解ったような気にもなっていましたが、心のどこかに何も解っていない自分がいることも自覚していました。
それなりに工夫もし、知識も仕入れ、それなりの作品も書けているつもりでした。しかし、絶対の自信というものはありませんでした。

先輩に篆刻の上手な人がいて、作品もそれなりに上手だなと思っていました。
その先輩が印の仕上げに印刀で印面を叩いていたときに、何で叩くの?と問いかけたら、その先輩は古色をつけるんだと答えました。感覚ではわかる気がしましたが、これは偽物だと、心の中で思ったものでした。
気分なのです。何となくそうしているという風にしか、私の心には届きませんでした。

これでいいのか?これでいいのか?という自問の中、疑問を抱き続ける日々が続きます。そんな中で、青山杉雨先生の著作の冒頭に、詩は志也。という一文に出会いました。
青山先生は、その古出の文を詳しく説明していました。詩書畫一致は東洋の理想であり、書もまた志を表すものだ。志とは表現である。といった要旨だったと記憶しています。
上手く書いたり、こねくったりすることは技術には違いないが、その根本にある自分というものは薄いような気がし、もどかしく思っていた自分にとっては、重要な指針となる一文でした。
更に模索を続けてはいましたが、自信がもてません。そんなとき関正人先生との出会いがありました。
福島で開催された先生の講習会に出席した折り、先生から作品を送ってくるようにとの、信じられないお誘いがあったのです。今思えば、篆刻とも言えないような作品でしたが、先生は懇切丁寧に通信で指導してくださり、作品を持って上京してきなさいとのお誘いがありました。
当時県立須賀川高校で教鞭を執っていた自分は喜び勇んで上京し教えを受けました。印は良くできて当たり前、押印と側鑑は田舎にいては解らんと、高田馬場のお稽古場に招き入れていただき、終日ご指導を受けたものです。
書を志して10年間技術を追求し疑問を懐に牛歩の歩みを続けていた自分にとって、生涯忘れ得ぬ一日を得ることになりました。先生は呉倉石の印を示されルーペで印面を観察するように言われ、惜しげもなく貴重な蔵印を眼前に示されました。次に3寸角の拙作をばれんを用いて眼前にて押印してくだされ、乾くまでと、外に飲食を共にと仰っていただきました。
酒食を傾ける間に、様々なお話をいただきましたが、漢の時代の古銅印の一つである軍司馬印を示され、軍の右側の縦画が曲がっていることを、"須釜さん、これはね、やっているんだよ"と仰られたのでした。
この言葉に打ち震え、私にとって生涯忘れ得ぬ言葉となりました。それまでの疑問、謎、もやもや、それらのものが胡散霧消、かき消えていくような、当に旱天に慈雨と呼ぶにふさわしい金言となったのです。
それは私が長い時間をかけて暖めてきた疑問があって、初めて私にだけ解る感覚だったのだと思います。この一時を境に単に筆使いの上手い人から自分で考え創作する道への歩みを始めることが出来、今日に至っています。

人はぼ~っと眺めて、眼を止めて見て、興味を持って観察し、分析し、何故と考え洞察する。人の意識レベルで見るという行為も変化していくと言うことを伝えたくて、見・観・察と言っていりますが、これは正見ということで、先生は私に正格の道を指し示されたのです。
正見・正格そして自我、更には素養と深遠な書の世界を垣間見させていただいた一時でした。先生は常に自分が考えていないことを指摘するものです。自分も先生の前に出ると恥ずかしくて居たたまれない気持ちにもなります。しかし、先生は私の前で、先生の目指す世界を指し示してくれているのです。私は何年も何十年かかっても、解るまで考え続けて行くのだと思います。

”まいった”

素養ということが出てきましたが、正直これには参りました。それは今の時点では目指す話ではなく、備わっているものということだからです。否、それまでに備えたもの、身についていると言うことだから一朝一夕に、はいこれですとは言えるものではありません。全人的な知識・教養・感覚・理念の積み重ねが人を造り、よって来たるところの作品と呼べるものへとなっていくのだと、今は理解しています。